海外に一切の興味を持っていなかった僕が、海外移住することを決めた理由。

目次

はじめに

2025年に海外移住します。

もともと僕は海外に一切の興味関心がなく、ずっと日本で人生を全うするつもりだった。
そんな僕がどんな生き方をし、なぜ海外に興味を持ち、そして移住をすると決めたのか。
今の気持ちを書き綴っていく。

「普通」でいることを意識した10代、20代

中学校や高校ではうまくコミュニケーションができず、いじめらてた。
だから、目立たないようにしていた。
周りに合わせていたらそんなにいじめられることも無くなった。そこから普通でいることを意識した。
周りと一緒だと、埋もれることができたからだ。

公立の高校を卒業し、親に言われるがまま大学に進学した。
大学に行ったのは、周りのみんながそうしていたらから、進学するのが当たり前でそれ以外の選択肢は僕には考えられなかった。

父の影響を受け「一生なくならない仕事に就け」と言われ、いいじゃんそれ、と思った。
父は当時、国からの建設関係の仕事を請け負っており、時代的にもその仕事はなくならないと考えていたみたいだ。
僕にとって一生なくならない仕事は、「変わり続けるもの」として地球温暖化などの環境問題に興味を持ち、大学に進む。
就職先は父に「安定している大手の会社に行きなさい」と言われて、そうだな、と思いその業界ではそこそこ大手の会社に就職した。
社会人になって毎週の飲み会、空気を壊したくないという思いが強くて、いつも自分の意見は言わず、周りに合わせていた。
周りに合わせた方が摩擦もないし、楽だったからだ。

その生活が永らく僕にとっての「普通」だった。

「自分で決めた」30代中盤

いくつかの転機がある中で、僕自身は世間大多数と同じく、レールに乗った人生を歩み続けていた。
高校を出て、大学に行き、そこそこの会社に就く。
それからは、会社と家の往復、土日は趣味でロードバイクとモンハン。その日常の繰り返し。
今の生き方が楽しいか、つまらないか、なんて考えていない。
ただ、たんたんと、日常が過ぎていく感覚だった。

それが続く中、親の言葉通りに動き、会社が請けた仕事や上司から言われたことをこなすだけの人生に、自分で意味がつけれていないことに気づく。
夜遅くまで残業、横槍で入ってきた仕事、付き合いでの飲み会や接待、土日は体力回復。

なんかやだ。
楽しくない。
だから、「何かを変えたい。」

でも何も思いつかなった。
今まで自分で決めることをしてこなかったからだ。
親や友人、会社の人に聞いては、「あの人が言ってたから」と、自分で決めているようでいつも人のせいにできるように立ち回っていた。

まずは自分で考える力が必要だ。
だったら創造豊かな発想力を身につけよう。そう決めて行動をしてみた。
振り返ると、これが自分で決めた初めての瞬間だったのかもしれない。

それからは、さまざまなコミュニティに入っては、抜け、新しいことをやってみては3日坊主。
そんなことばかりだった。

半年くらいたった時に、「クリエイティブ大忘年会の企画を一緒に考えませんか?」とFacebookで募集があったので参加してみた。
僕が企画で発言したのはわずかに30秒、それ以降は仕事が忙しくなり疎遠に。
1ヶ月後、運営の方から連絡がきた。
「君、司会に決まったからよろしく。」

この人、ネジが外れている。
そう思った。
見ず知らずの30秒しか会話していない人に依頼するなんておかしくないか。
整理してから決めようよ、別の適任の人がいるよ、と昔の自分が言う。

不安しかない。
周りも知らない人たち。
でも、「何かを変えないと、これからも変われない」と、その時考えていた。

だから、びびりながら、「やります」と言った。

「やりたい」から始まって、たくさんの何かと出会った30代後半

それからは多くの人と出会うきっかけに恵まれた。

ついでに日本全国を巡ってみた。(詳しくはこちら。)
日本にはたくさんの面白い場所があると知る。

世界を牛耳りたいから政治家になるという人と出会ったり。
震度6の地震に巻き込まれてサイレンの体験したり。
DIYしたり、ペンキ塗りして宿代タダにしてもらったり。
ポンカンを収穫してからスイーツ作ったり。
アイヌ文化を教えてもらったり。
牛フンに未来を感じたり。
マグロを持ったり。
真冬の凍った暗闇の道をひとり彷徨ったり。
焚き火と音楽とマシュマロで夜な夜な語りあったり。
阿蘇山ワーケーションしたり。
初めてのサウナや謎のバーに行ってみたり。

知らないことばかりで、めちゃくちゃ日本って面白い、そう感じた。

そんなことをしていたら、バックパッカーと出会う機会もあった。
海外をたくさん巡っている彼らの話は嘘のような本当の話ばかり。
その話にワクワクしている自分がいることに気づく。
僕は海外になんて興味ないし、なにより危険だ、と行ったことすらないのにそう思っていた。

でも話を聞けば聞くほど、楽しそう、と考え方が変わっていく。
世間一般で言うところの失敗体験が、その人たちから話を聞くと笑い話になっていた。

僕も笑っていた。

自分の目で見て、歩いて、触れて、体験したい。
日本ですらこんなに面白いんだ。

すぐチケットを取って海外に行っていた。

初めての海外、最初の一言は「ネドベド」
やべぇ日本人きたって顔されてのを覚えている。
心にいやな汗かいたけど、でも、楽しかったんだ。

すべてがまず「やりたい」で始まってて、意味は後付けになってた。

「僕の居場所」と、これから

「あなたはなんで”そこ”に住んでるの?なんで日本なの?」

日本で生まれたから。就職で引越ししたから。そんな人が多いと思う。
僕もそうだ。

別に悪くない。

でも、自分の居場所を自分で選べることはきっと、もっと楽しいはずだ。

何かに縛られず、どこか我慢するわけでもなく、自分で決めて生きていくのだ。
ライフスタイルを自由に選択できる余白が広がれば、もっと自由になるんじゃないかな。

好きな場所で
好きな時間に
好きなコトを
好きな人達と

それが僕の居場所だ。

それは物理的な場所に縛られるものではないと思っている。

それなら日本でもいいんじゃん?
って考えることもある。
親からは大変だし、危険だよ、お金もかかる、老後どうするん?
心配の声をたくさんいただく。たくさんね。

でも、そういった手間も含めて、楽しみなんだ。

きっと海外に住むのは日本との文化の違い、言語の違いでいろいろあると思う。
たくさん何かやらかすかもしれない。
でも、おじいちゃんになった時にそれを面白おかしく話している姿を想像すると、かっこいいじゃん。って思う。

「国境や言語の壁を越えてどこでも生きていける、そんな世界になれば、より人生は楽しくなるんだ。」

そう言いたいだけに海外移住するのかもしれない。
理由なんてそんなもん。
グローバルで活躍とか、英語話せるようになりたいとか、そんなことも考えるけど副産物だ。
1番は実践してる人でいたい、ただそれだけなんだ。



僕はみんなより不器用だから。

だから、
とりあえず行動してみて、
その時の気持ちを大切にするようにしているんだ。

さいごに

じっとしていても、何も変わらない。
誰かを、何かを嘆いていたところで、誰も人生を変えてはくれない。
だったら、思い切って飛び出してみることだ。

どこでも生きていける自分でいたら、きっと楽しいはずだ。

と、自分に話しかけつつ、1年後の今に思いを馳せていく。






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